今回は、2025年11月16日(日本時間17日)に打ち上げが成功した、
NASAと欧州宇宙機関(ESA)らによる最新の海洋観測衛星、
**「Sentinel-6B(センチネル6B)」**について徹底解説します。
単なる「新しい衛星」ではありません。
これは、過去30年以上にわたって人類が積み上げてきた、
「海面上昇」という地球規模の課題に立ち向かうための、
最も精密で、最も重要なミッションの集大成なのです。
なぜこの衛星が「黄金の基準(ゴールド・スタンダード)」と呼ばれるのか。
そして、SpaceXのロケットが宇宙へ運んだのは、
単なる機械ではなく、私たちの「未来への希望」である理由を、
技術的、歴史的な観点から深掘りしていきます。
1. ニュースの要点:Sentinel-6B、無事軌道へ
2025年11月16日、カリフォルニア州のヴァンデンバーグ宇宙軍基地から、
SpaceX社のFalcon 9(ファルコン9)ロケットが轟音と共に飛び立ちました。
その先端に搭載されていたのが、今回の主役「Sentinel-6B」です。
この打ち上げは、単なる成功以上の意味を持ちます。
2020年に打ち上げられた双子の兄、「Sentinel-6 Michael Freilich(マイケル・フライリッヒ)」に続き、
弟分のSentinel-6Bが軌道に投入されたことで、
「Sentinel-6/Jason-CS(ジェイソンCS)」ミッションの体制が完全に整ったからです。
なぜ重要なのか?
気候変動による海面上昇は、今や「予測」ではなく「現実」です。
しかし、その上昇ペースは一定ではなく、加速しています。
ミリメートル単位の海面変化を宇宙から正確に測り続けること。
それが、防災計画や気候モデルの精度を劇的に向上させる唯一の手段なのです。
2. 技術的深掘り:宇宙から海面の「数センチ」を測る仕組み
Sentinel-6Bが搭載している技術は、まさに人類の英知の結晶です。
高度約1336kmという、地球を周回する軌道から、
地上の海面の高さを数センチ以内の誤差で測定する。
この驚異的な精度を実現している主要な機器について解説しましょう。
① 最強の目:Poseidon-4 レーダー高度計
この衛星の心臓部とも言えるのが、**Poseidon-4(ポセイドン4)**です。
これは「レーダー高度計」と呼ばれる装置で、
仕組み自体は非常にシンプルです。
衛星から海面に向かって電波(マイクロ波)を発射し、
それが海面で反射して戻ってくるまでの時間を計測します。
しかし、Poseidon-4が革新的なのは、
「合成開口レーダー(SAR)」技術を高度計に導入した点です。
従来の高度計は、海面上の広い範囲(フットプリント)の平均値をとっていましたが、
SARモードでは、衛星の移動を利用して仮想的に巨大なアンテナを作り出し、
海面をより細かく、高解像度で「スライス」するように観測できます。
これにより、沿岸部のような地形が複雑な場所でも、
陸地の信号と海の信号を明確に区別し、正確なデータを取得できるようになったのです。

② 水蒸気を見抜く:AMR-C(高性能マイクロ波放射計)
レーダー高度計の大敵は、大気中の「水蒸気」です。
水蒸気は電波の速度をわずかに遅らせてしまうため、
そのままでは距離の測定に誤差が生じます。
そこで活躍するのが、AMR-Cという装置です。
これは海面から放射される微弱なマイクロ波を観測し、
大気中にどれくらいの水蒸気が含まれているかを瞬時に計算。
レーダーの測定値を補正することで、驚異的な精度を保証しています。
③ 隠れた主役:GNSS-RO(ラジオ・オカルテーション)
Sentinel-6Bには、もう一つ面白い機能があります。
GPSなどの測位衛星からの電波が、地球の大気を通過してくる際の「屈折」を利用して、
大気の温度や湿度を垂直方向にスキャンするGNSS-ROという技術です。
これは本来の海面測定の「おまけ」のように見えますが、
実は現代の天気予報の精度向上に、最も貢献しているデータの一つなのです。
3. 歴史的背景:30年続く「海への眼差し」
Sentinel-6Bの打ち上げは、単発のイベントではありません。
これは、1992年に始まった壮大なリレーの「最新走者」なのです。
【第一世代】TOPEX/Poseidon(トペックス/ポセイドン)
1992年、NASAとフランス国立宇宙研究センター(CNES)が共同で打ち上げた伝説の衛星。
それまで「海面は平らではない」ということは理論上知られていましたが、
実際に地球規模で海流やエルニーニョ現象を可視化したのは、この衛星が初めてでした。
海洋学に革命を起こしたと言われています。
【第二世代】Jason(ジェイソン)シリーズ
その後、2001年のJason-1、2008年のJason-2、2016年のJason-3と、
バトンは途切れることなく受け継がれてきました。
特筆すべきは、これらが常に「前の衛星が寿命を迎える前に」打ち上げられ、
一時的に並走(タンデム飛行)してデータを校正し合ってきたことです。
これにより、30年以上のデータに「継ぎ目」がなくなり、
長期的な気候変動のトレンドを正確に追うことができるのです。
そして今回のSentinel-6シリーズは、
このレガシーを受け継ぐだけでなく、
ヨーロッパ(ESA、EUMETSAT)とアメリカ(NASA、NOAA)が、
対等なパートナーとして開発・運用を行う、国際協力の象徴でもあります。
4. 科学的意義:なぜ「ミリメートル」が重要なのか
「海面が1年で3ミリ上昇した」と聞くと、
大したことではないように感じるかもしれません。
しかし、地球規模で見れば、それは膨大なエネルギーと水量の変化を意味します。
① 気候変動の「体温計」
海は、地球温暖化によって生じた余剰な熱の90%以上を吸収しています。
水は温まると膨張するため、海面上昇の約半分は「海水の熱膨張」によるものです。
つまり、海面の高さを正確に知ることは、
地球がどれだけ熱を蓄え込んでいるかを知る、最も確実な「体温計」なのです。
② ハリケーンの強大化予測
Sentinel-6Bが測定するのは高さだけではありません。
海面の「うねり」や「風速」も同時に計測します。
暖かい海水が厚く溜まっている場所(海洋貯熱量が高い場所)を通過すると、
台風やハリケーンは急激に発達します。
Sentinel-6Bのデータは、こうした危険な嵐の進路や強さを予測し、
早期避難を可能にするための「命綱」となるのです。
③ 沿岸部の都市計画
世界の大都市の多くは沿岸部に位置しています。
Sentinel-6Bの高解像度データは、
局所的な海流の変化や、沿岸ギリギリの海面変動を捉えることができます。
これにより、防波堤をどこに、どのくらいの高さで作るべきか、
という具体的なインフラ計画に、科学的な根拠を与えることができます。

5. 将来の展望:火星、そしてその先へ
Sentinel-6Bは、少なくとも今後5年半、
期待値としてはさらに長く、地球の海を見守り続けます。
しかし、このミッションで培われた技術は、地球だけに留まりません。
惑星探査への応用
レーダー高度計の技術は、他の惑星探査にも応用されています。
例えば、木星の衛星エウロパの氷の厚さを測ったり、
土星の衛星タイタンのメタンの海を調べたりする将来のミッションにおいて、
Sentinel-6Bで磨かれた「水面(液面)との距離を測る技術」は、
基礎的なノウハウとして活用されるでしょう。
次世代ミッションSWOT
また、NASAは既に次世代の衛星「SWOT(Surface Water and Ocean Topography)」も運用しています。
SWOTが湖や川を含む「面」としての水を詳細に観測するのに対し、
Sentinel-6Bは長期的な「基準点」としての役割を果たし続けます。
これら複数の衛星が連携することで、
私たちは地球という「水の惑星」の全貌を、かつてない解像度で理解することになるのです。
6. 用語解説
- アルティメトリ(Altimetry):衛星から電波を発射し、その反射時間から高度(距離)を測定する技術のこと。海面の凹凸を測ることで、海流や海底地形までも推測できる。
- 合成開口レーダー(SAR):衛星が移動することを利用し、小さなアンテナでもあたかも巨大なアンテナで観測したかのような高解像度データを得る技術。Sentinel-6Bでは、これを高度計に応用している点が新しい。
- ジオイド(Geoid):地球の重力や自転の影響だけで決まる、仮想的な海面の形。実際の海面は、これに風や海流の影響が加わって凸凹している。衛星はこの「実際の海面」と「ジオイド」の差を測ることで、海流を知る。
- 太陽非同期軌道:特定の時刻に同じ場所を通る「太陽同期軌道」とは異なり、通過時刻がずれていく軌道。これにより、潮の満ち引きによる海面の変化を、満潮・干潮の偏りなく万遍なく計測することができる。

まとめ:宇宙からの眼差しが、地球を守る
Sentinel-6Bの打ち上げ成功は、
宇宙開発が単なる「探検」の時代から、
「地球管理」の実務的なフェーズに入ったことを象徴しています。
私たちが地上で生活している間も、
頭上1336kmの彼方では、Sentinel-6Bが黙々とパルスを発し、
海という巨大な生き物の鼓動を聴き続けています。
そのデータの一つ一つが、
気候変動という未知の脅威に立ち向かうための、
私たちの最大の武器になるのです。
もし夜空を見上げる機会があれば、
その暗闇の中に、青い地球の海を見つめる「黄金の双子」がいることを、
思い出してみてください。
